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フレンドリーファイア

いつか撃たれてしまう時が来るか。

「あ、これマジで泣いてる奴だな」って思ったのは前回の涙ですかね。その前で本当に泣いてしまったなって思ったのは、
2年位前にどこかの番組でポケモンの第一話が放送された時に懐かしいなあ…って思って見ていたら涙が止まらなくなってしまったのが最後だったんじゃないでしょうか。
悲しみと同じくらい、懐かしさは人を打ち震えさせる。

なんで悔しくて泣いたのか詳細に語りたいところですが、執筆する過程でまたつらい思いをするのもはっきり言って嫌なので控えさせて頂きます。
ざっくばらんに申し上げますと、「頑張っていない自分も悪いけど、それをとことん突いてくる人はもっと嫌だ」という話。
自分が悪い自覚があるのに、なんで引っ掻き回そうとするかな、それを。
それはありがた迷惑でもお節介でもなく、ただの嫌がらせだよ。自分の立場を利用した暴虐行為。
嫌な思いをしたくなくば、絶対に"正しい"一人暮らしをしよう。
この話はおしまい。

突然ですが恋人の話をしたいと思います。
と言いますのも、今までそれにまつわる幾人かが当ブログを閲覧していたので、こういった話は極力控えるようにしていたのですが
おそらく今現在に至るまで当ブログを閲覧し続けている人はいないと踏んでのことです。
いやあ、モテるってツラいね(テキトー)

とは言え、中高時代での彼氏彼女の関係というのは今だから客観視出来てしまうし結果論的な話が出来てしまうわけですが、
遊びとまでは言わないものの一時期の気の迷いみたいなものはありましたよね。
その時その時は絶対に本気だったと思うんですが、今と比べると本気の度合いが知れているんですよ。
だからその時の一瞬の気の迷いで一生の過ちを犯さなくてよかったと思います。
迷いを迷いのまま未処理にしておくのも選択肢の一つかなあと思います。ぼくの優柔不断な性格に助けられた数少ない例の一つとも言えますね。まあでも基本的に優柔不断でいい事なんてありません。

必ずしも全てがそうではありませんが、恋愛はお互いが会いにくくなればなるほど長続きしなくなると思います。
(これは経験からくる教訓のつもりでも言っていますが、現在の自分を諌める意味も持っています)
今の恋人は会える距離には住んでいるのですが、一つ上の社会人なので会える回数や時間は圧倒的に減ってしまいました。
ぼくも就活やら何やら、色々と理由が増えて会えなくなってしまってますし申し訳ない気持ちと不安が募ります。
会おうと思えば会えるけど実行しないのは、その時の気持ちに問題があります。言い訳がましいようですが、会おうという気持ちより、何か他のものやことに対する気持ちのほうが上回ることが多くなってしまいました。
基本的にそれらは負の感情で構成されています。
なんというか、くだらないことから真剣なことまで変に自分を追い込んで悩む質なのでめんどくさいんですよぼくは。
自分で言うと何を言っているのやら…という感じですが、自分で言わない限り誰も言ってくれないのでそうしています。
ぼくは面倒臭いやつなんです。
面倒臭いうえに、身の上話が大好きなのでこうやってブログに書いています。人前では滅多に話しませんが…。
面倒臭いことをアピールする割には、「面倒臭い奴だと思われたらどうしよう…」ということも同時に考えてしまう自家撞着野郎なので、結局何も喋らないんですよね。

っと、話がだいぶ逸れてきましたね。自分語りをし過ぎるのはよくない。
恋愛に関して、今までも今でもずっとぼくを苦しめているのは「どうしてぼくなの?」ということですね。
数ある男性諸君の中からぼくを選んでいただいて誠に光栄であります。が、ぼくである必要はあったのかな~という気持ち。
以前に比べればマシになったんですが、自己肯定が苦手なんですよ。
偶然とか必然とか、巡り合わせとか色々な要素が複雑に絡んだ結果ぼくとなったんでしょうけど、自分をダメだと思う度にこういうよくない気持ちが湧いてきてしまいますね。
相手からすればきっと「なんで私なの?」と思うことは少なからずあるでしょうしお互い色々と考えることはまだまだありそうです。
ぼくも自分で思う割には相手からもしそんなことを訊かれたらスッと答えることは出来ませんね。
嫌な連想かもしれませんが、就活に類似する点があるような気がします。何が、とは敢えて言いませんよ。

今の恋人と付き合い始めてそろそろ3年目ですが、改めて考えると結構長いですね。
決して惰性で付き合っているからこういうことを言うわけではありませんが、別れる理由が見当たりませんね。
彼女が優しすぎるんだと思います。優しさに甘えているんです、ぼくが。
うわめっちゃ気持ち悪いなこの文章。
恋人も働き始めで荒れに荒れていますが、ぼくもぼくで就活にゼミに精神を圧迫させられる事案が多くあってなかなか構ってあげることが出来ません。出来ませんっていうのはたぶんものすごく反感を買う言い方だと思いますが。
何もしなすぎて愛想つかされないようにしないといけませんね。(このしないといけないっていう言い方もよくありませんね。)

室内に蚊がいるようで集中できなくなってきましたのでこの辺りで。
何も考えずにただ連々と文章を打ち込んでいる時が一番楽しい気がする。


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03:33 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑

つらすぎて泣いてしまった。
昨日の涙とは全く違う種類の涙だった。
人間を全部否定された時に出る涙が遂に出てしまった。
02:36 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑

光れ

ずっと途中まで見て放置していた「四月は君の嘘」、そろそろ消化しなくちゃなあと思って再生しだしたのが0時。
ちょうど半分くらい残っていたんですが今見終えた、というか、一気に見てしまいました。

良い意味で、ぼくにはこういう話向いてないんだと思います。
正直泣こうとして泣いているのか、ただ自然にあふれ出てきた涙なのか、またそれが真実の涙なのか、偽りの涙なのか。
ぼく自身その答えはわかりません。でもただそこに、涙となって現れた事実はある。
別に嘘か本当かはどうでもよくて、そこに現れた事実が自分にとってかけがえの無い形となる。

すべて最終回のための伏線だなんて言われたらそうかもしれない。
でもそこにあったものは"確か"でしょう。何事にも通ずることかと思いますが、確かに存在していたものが、ほんとうになるんです。
一つだけついたあの嘘も、嘘という事実だった。
誰かを好きだった本当もまた、事実でしょう。
事実は消えない。そこにあったものはなくなりはしない。
いいものを見て、聴いて、いいものを感じた気がします。
何かを得たぼくもまた残り続ける。
03:16 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑

メタリックマインド


ひと月よりちょっと超過しちゃったかな、お久しぶりです。
別段忙しいというわけでもありませんでしたが、なんとなく億劫になって書けていませんでした。
文章を認めたくなる時というのは書き手に何か椿事があった時で、特にそんなこともなく平穏たる日常をぐるぐる巡っているような状態ではそんな気分にもならないものです。

1ヶ月もあれば色々考えるべきこと、考えさせられることも多くありますが、過ぎ去った5月という月は私の中でも意味のある月なのです。
と、言いますのも18日は私の誕生日だったわけで、早くも22歳を迎えることになりました。
21歳の私は何をしていたのかと申しますと、病院のベッドの上で、自身の無力さを痛感しておりました。
ちょうど入院していた時期だったので21年生きていたうちで最も虚しくも悲しい誕生日でした。

それももう過ぎたこととなり、早くも22歳になってしまったわけです。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」という言葉がありますが、時という目まぐるしく往来を続ける永遠の旅人を卑近に感じざるを得ませんでしたね。私が旅人を思う時、旅人もまた私という存在を受けて動いているのかもしれない。
普段生活していてもそこに時を感じることはないでしょうけれど、誕生日という経時を認識するときに初めて私は22年を感じますし、22年もまた私を感じるのでしょう。

これ以上頭のいい文章を捻り出せそうにないので年齢の話はここまで。以下に記すのは直近の出来事など。

直近の出来事と言いますと今朝方3次選考まで受けた企業から連絡が来て、残念ながら貴意に添いかねる結果となりましたと書かれておりました。
役員面接まで到達したのは初めてだったので、まあ期待半分、不安も半分といったような具合で面接を行い、結果がそうなったということです。
受けた精神的ダメージは50000倍くらいです。
ツイッターでどんなことでも書き散らしてやろうか、考えたことは色々ありまして、やはり大勢の目につくところであまり気分の良くないツイートはしたくはありませんで、フォロー0,フォロワー0の新しいアカウントでも構築しようかというところまでは心内に留めておりました。
結局、このグチャグチャにされた感情をまき散らす場所を考えに考えた結果、どうせ誰も見ていないブログがあるということで、今に至っております。

企業から不採用の通知を頂戴する度、深い猜疑心に囚われて他人を信用する気が一時的とはいえ、一切なくなってしまいます。
能動的に人に会えるような気持ちにもなりませんし、狭い殻に閉じこもってそのまま窒息して息を引き取りたいとまで思います。
結局しないんですけどね、弱いもので。
自分から滲出するそういった慰めて欲しい、構って欲しいという汚らしい言葉や感情にも嫌気が差してより一層自責の念に駆り立てられるところまでがセットになっていて、そういった自分がいることを客観視出来てしまう自分にもまた嫌悪します。
一番憎たらしいのは「どうせ全部自分が悪い」と思う自分がいることですかね。
単純に気持ち悪いんですよ。実際に悪かろうが悪くなかろうが、まあ結局至らなかった私が悪くて、他の人は全部正義で、私の中に肯定できる正義なんてどこにもなくて、誰かの正義のためだけにただ生かされているだけに過ぎなくて、それを除く他の利害とは一切与り知らずである存在でしかないんだって、一瞬でそう思うわけです。気持ち悪い以外のどんな感情も流石に身をすくめて出てきませんよ。自己犠牲という陶酔の中でしか生きられないような息をするゴミなんですわな。

こういった負の感情の濃度が増せば増すほど、周囲をすべて拒絶していきたくなりますし、自分を肯定してくれようとする万物に対しても疑心暗鬼になって触れることさえ恐ろしく感じてしまいます。
こんなクズで社会にも適合できないような生ごみの、どこに肯定要素がある?
もっと他にまともな人間はいくらでもいるよ。もっときみにとって、有益である存在はもっともっといる。
私である必要はないよね?お願いだから、私がもう、耐えられないから、君に釣り合わないから。

相対的に自分の無能さと相手の有能さを理解してしまう瞬間が一番残酷ですし、絶大な劣等感を受けて死に直面するような感覚にすら陥ります。
ずっとそうやって過ごしてきました。負けたくない、負けない、私が勝ってみせる、私の方が上だと、そう信じて、そうやって思い込んで、それをモチベーションにし続けて、相手が上空遥か遠くの雲の彼方の存在であることに気付いた時には既に遅い。
私は勝手なライバル視や普段の素行から相手を見下して、常に上に立ったような気分でいることでしか自分を保てなかった。
それがひっくり返された(というかそもそも上に立てていた時など一秒たりともなかった)時に妬みも怒りも悲しみも全て受けてしまって、相手も自分も否定して逃げ出してしまうのです。
今もそうなのかもしれない。

日中ツイッターにも少し書きましたが、「俺/私もできたんだから、お前にも出来るよ」という言い回しにはなんの意味も励ましもないんです。
それはただ相手を深く傷つける可能性を大いに孕んだだけの爆弾であり、誰もいい思いをすることはない。
貴方は貴方だし、私は私だ。そこに共通項は何一つないし、貴方が思うほど私も、そして貴方自身も単純なものはなく複雑怪奇なのだ。

現実でも、ゲームでもうまくいかなくなったら、人は一体何処へ逃げこむことが出来るというのか。
虚無に身を投じて、暗闇の孤独をひしと感じ続けて、そのまま肉体から、思考から自身を乖離させていくことでしか、己を保つことは出来なくなってしまうのだろうか。
或いは、自己保持を考えることそれ自体、空虚であるか。
正しさとは何か。世界に物差しはない。等身大の自分でしか、自分も、世界でさえも計れない。
だのに、私を計ろうとするのはどういった都合であろう。自分の物差しを他人に当てるとは何たる愚行か。
それは、何を謀っている?

良くないことが続いて、気分のいい人間なんてどこにもいやしません。
他人の不幸が蜜の味を秘めているように、幸福も、時には強烈な毒になり得る。
説得力の欠片もありませんが、他人を気にして生きるのは実にバカらしいことですし、自分本位で生きるのが一番ですよ。

23:36 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑
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