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他人の顔、シビュラの目


一定期間より前のものはすべて非公開にしました。削除しないあたり、未練とか思い出とかを考えてる。
それが弱い自分なのか、そうでないのかまではよくわからないですね。酒に酔った人間の戯言だと思って軽くスルーしてくだされ。

中学生の時くらいから書いてるブログで酒の話をするとはまさか当時の自分は思わなかったでしょうな。あの頃はただひたすらその時思ったことを書きなぐって、悦に入っていっただけにすぎない。そして今もそれは変わらない。
たった数年、されど数年ではあるが、それだけでは人は変われないのかもしれませんね。或いは、変わろうとしなかっただけなのかも。21にもなってまだそんなことにも気が付きませんし、よく理解も出来ない。

記事を非公開にしたのは過去の自分を見るのが嫌になったのと、見られるのが嫌になったから、ですかね。見せられたものではないと今更になって気づいたという感じです。昔を誇れるほど強い人間になることはできなかった。昔があってこその今の自分であることには違いありませんが、だからといってその両者を安易に肯定することは、ぼくには出来ません。そこまでデキた人間ではないのです。また、過去を肯定することが出来なければ、今だって肯定できないのは道理でしょう。

大学三年生にもなって、ぼくはまだ悩んでいる。いろいろなことにぶつかって、またこうして記事を書いて逃げようとしている、自分を正当化しようとしているんです。自覚そのものはあるんです。
ただ、自覚があるから何かが変わる、今すぐ変わることはあり得ないんです。夢見がちな自分がいないから、何に対しても慎重になって、奥手になって、最終的に何もできなくなる、大きくなっても、弱いまま。
単なるネガティブでは済まされない次元まで来ているんでしょうね、取り返しがつかないところまで。

大学生になって何が変わったんだろう。趣味とか?
音ゲーにはハマったし、本も今までとは違うジャンルに手を伸ばすようにはなりました。音楽の幅も多少は広がったし、お酒の味も覚えた。
他には?
そりゃ、探せば他にもいくつかあるでしょう。でもこれらすべて大学で学んだことではない。大学という場所を借りて学んだにすぎないんだ。大学で学んだことの中でぼくを突き動かしたものといえば精々倫理学程度で、ぼくの所属している文学部歴史学科の中で心に響いたものは何もない、なにもないんだ。
ぼくはどうして歴史学科なんだろう。そして、ぼくが一番欲しているものとはなんなのだろう。学歴か、お金か、友人か、趣味か、ほんとうに自分が満足できる、まだ見ぬ何かか。
どれかがそうなのかもしれないし、どれも該当していないかもしれない。ぼくにはわからない。
他の人がしている何かを真似て、そうし続けてここまでやってきた。これからは本当に自分が求めることを自分で決めなくてはいけないのに、まだ何も。
誰かが自分がすべきことが何かを決めてくれるんじゃないかってそう信じてここまで来た。そんな未来は永遠に来ない。
ぼくにできることなんてお金を使って時間を食いつぶすことと、ご飯を食べること、寝ることくらいだ。社会なんて言わず、人から必要とされるなんて考えようとも思わない。
ぼくが誰かの、何かのためになれる、何かを出来るというのなら、それだけのために余生を過ごすことだって厭わないだろう。
自己犠牲の上にしか、ぼくは成り立たない。その犠牲の目処さえも立てられない。
死に怯え、惰性の日々を送り続ける。日陰者でいられることにさえ感謝しながら息を吸って、吐いている。

ハインラインの短篇集『輪廻の蛇』の中に、「かれら」という話がある。自分は、なぜ自分の世界しか見ることが出来ないのか、というぼくの幼いころ気持ち悪く思っていた疑問をそのまま文章にしたような短編だ。ぼくに限らず、他にもそう思う人、思った人は幾人もいることだろう。
今でも考える。ぼくはどうして、ぼくだけの世界しか眺望することが出来ないのかと。他の人の視線をいくつも眺め、その幾数もの視線を浴びる自分が中心にいる。他の人々の視線には決してなり得ない。他人の顔を見ることが出来ても、ぼくがぼくの顔を見ることはできない。自分を、俯瞰できない自分がいる。気が変になるのではないかと思うこともある。
最近でこそ割り切ったことではあるが、幼いころは我慢に耐えかねるところだった。恐ろしいことだった。
だから、自分の死後を考えることが幾度かあった。今眺めている世界は、ぼくが死んだ時どうなるのか。今生きている自分が他人の死を観測できても何も思わないが、当のぼくは死んだ時に、ぼくの死はぼくによっておそらく当たり前のように観測できないが、その後、どうなるのか。永遠の闇なのか。
また、46億年にも渡る地球上で、"ぼく"の見た世界ははじめて"ぼく"に与えられたのか、それともいくつかの世界を見てきて、"ぼく"が今その役目を請け負ったのかどうか、と考え出せばキリがない。
ぼくは一体なんなのだろうか。きっと他の人も一度はぶち当たる疑問に違いないのだが、そういう割り切り方ではしっくりこないこともあるのだ。ぼくに託されたことがあるのではないかと考えることさえあった。


重症である。
酔っぱらいの恥の知らない駄文だと思って、見なかったことにしてくれたまえ。

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