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エイドス

見られることを意識して綴られた言葉に価値はない、という戒め。

前回の続きを書きたいところですが案の定構想はすべて消え去ってしまいましたので冒頭に本当に端的に書きました。
自分から詮索などしない方がいいのです。自分のためだしここを見る誰かのため。後からあれは違うなどと言い訳が出来なくなるのなら、最初から書かなければよい。心の中に秘めて、どうしても叫びたがっているのなら穴でも掘って渾身に言い放てばよかろう話なのです。
というわけで、何も言い訳はしないし、思いつく限りの悪口雑言、自己正当化、これからも好き放題やっていきます。ですが、最終的に責任は自分にあるということを常に忘れてはいけないのです。意味なく故なくただ暴力的に吐き出す自己肯定で満足して気持ちよくなれるというのであればそれはとても幸せなことです。そんな単純に事が済むのならとっくにやっています。
結局最終地点で待っているんですよ、「で、お前はどうなんだ?」と語りかけて来る否定しきれない現実が、本心が。嘘を嘘であるがままに出来ない、非道を潔しと出来ない醜い自分の正義が。今まで頭角さえ現さなかった私自身が。
仮面を被ったまま涙して、道化にもなり得ないのです。

自分は意地汚い人間です。姿を消して、ぼくの居ない場所で、誰かがぼくを心配していないかな?としょっちゅう考えるわけですから。いつの間にか他人に依存して承認欲求を満たされたいが為に惰性で続けていただけのSNSなんて塵芥ほどの意味も有さない。そんなことがしたくてツイッターを始めたはずではなかったのに、いつからそんなことになったのでしょうか。いつからそう意識して嫌な気持ちになる自分がいたのでしょうか。
きっと「目」が増えすぎたのかもしれませんね。
みんなでなくてもいい、誰かの中で一番ならばそれで、などと寒気もするような常套句に踊らされて生きています。
誰彼の二番にもなれないような人間が、どこかで一番になりたがるなんて厚顔無恥にも程があります。おこがましいんですよ。
大体、自分のことなんて自分にわかりはしないなどと豪語するような人間が自分を評価しろだとか、お前らに俺の良さなんてわかりっこないなどと考えるのはいくらなんでも滑稽です。他人に評価されたいのなら先んじて汝自身を知れ。

ここまで書いて、こんな自戒になんの意味があるんだろうと思ってしまいました。話を少し変えましょう。
先日の記事で彼女の家に泊まる旨を書きましたが、いつも帰り際に彼女はひどく寂しそうな雰囲気になるのです。
彼女に正面切って言う肝っ玉をぼくはあいにく持ち合わせていないのでこんなところで「愚痴」としてこぼしてしまうわけですが、そんな「うさぎさんなので寂しいと死んじゃいますオーラ」を出されてしまいぼくは当惑してしまいますし「またか…」と思うわけです。
付き合って3年になりますが、ぼくと彼女で決定的に違うところとしてまず、ぼくは<一人の時間が十分に欲しい>人間なのに対して彼女は<出来ることなら恋人とずっと一緒にいたい>人間だというところです。相手の気持ちがわからないわけでもないですが、ぼくは気分屋で短気という恋愛においては致命的であろう性格の持ち主であるので一旦距離を置いて考えたり、休んだりしなければ身が持ちません。ぼくは性的な意味でも性格的な意味でもまったく絶倫ではありません、早漏です。

こんなところだからこそ単刀直入、一切合切を吐き出しているわけですが、彼女を前にして無神経になりきれないぼくはだんまり決め込むことになります。また、自分の機嫌を悪くすることが多く非常に申し訳ない気持ちになります。自覚はあってもなかなか歯止めは利きません。
とどめと言わんばかりに、ぼくは面倒くさがり屋という最悪なステータスも持ち合わせているので、面倒くさいときはとことん面倒で何も考えたくなくなります。次に何をするかということを決めるにしても、そのために行動を移すにしてもすべて丸投げにしたくなります。一例として、よく起こるのが飯絡みのことで、ご飯何食べる?から一生時間が経過してしまうことが多々あります。
面倒くさがりに加えて優柔不断も相まって雰囲気は淀みます。これで別れないでいられるのが不思議なんですよね。相当好かれているのか、別れることすら面倒に思われているのか判断しかねますが、もし仮に嫌気が差され別れ話を切りだされたらぼくは仕方ないと思いますし許諾すると思います。自分にしか負がありませんからね。

(わがままで)いつもごめん…とたびたび言われますが、別にわがままとも思いませんし寂しい気持ちもわかってはいます。ですが、ほぼ週一で会ってるわけですしそろそろ慣れてもいいのでは、と思わなくもありません。以前は彼女も学生だったのでもう少し自由に会うことが出来たわけですが、今がぼくだけが学生で彼女は社会人です。土日くらいしか十分に会う時間が取れませんし、ぼくは日曜日にアルバイトが入っているので実質土曜日だけになります。
全面的に時間に余裕のあるはずのぼくが、何かと精神的に理由をつけて会うのを面倒臭がっているのが問題であり非はぼくにしかないことくらい、わかってはいるつもりです。
結局内定が出てないという愚劣極まりない事態に身を捩って自己嫌悪の炎に焼かれて死ぬのです。お疲れ様でした。
どう頑張ってもこの話に収束しますし生産性がまるでない自分に嫌気しか差しませんし人様から嫌気を差されないはずがないんですよね。

BUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲の歌詞に、
「人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ 優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない」
というフレーズが出てきますが、今のぼくの中をいい感じに表現してくれている気がします。
はじめに戻りますが、承認欲求に飢餓しているというわけです。気持ち悪いですね。死にたくなる気持ちもわかる気がします。

前々回の記事に「自己否定」という言葉が出ていますが、自己肯定と自己否定は表裏一体なんです。自己否定という感情はそもそも自己肯定欲から滲出した感情に過ぎない。なんでしょう、自身の再認識というところでしょうか。
ひとしきり「俺はダメなんだ」と思った後に「ダメでいいじゃないか、乗り越えるぞウオー」みたいなブレイクスルーが発生して成長するのが理想的なサイクルなわけですが、実際問題そんなにうまく感情の整理が出来るなら自己否定だの肯定だの、そんな言葉のしがらみに囚われるような小さな人間にはならないでしょうしそもそもそんな言葉も使わずに一生を終えるでしょうね。

ちょっと長くなってしまったのでキリはあまりよくありませんがこのあたりにしておきます。
パワポケ9の広川武美のセリフを、自分を肯定と否定のために書き記しておきます。
"誰もがアンタみたいに強いわけじゃない。 ……ずっと正しくなんて生きられない人の方が多いんだ"
03:25 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑
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