スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | edit | page top↑

理想的一般論

7月になりましたね。梅雨に入り、夏になって、急に暑くなってまいりました。
今住んでいる部屋なんですが、大体常に30度あります。本格的な夏場に突入したら一体どうなるのか逆に楽しみです。

暑い時は仕方なくエアコンを点けるのですが、単純に冷房から点けても湿度が異常に高いせいかほとんど効いてくれません。
ドライでしばらく除湿した後に冷房に切り替えるとまあまあいい感じの室温と湿度になります。
ただ結構冷える感じもあるので、これは軽量鉄骨造のせいなのかもしれません。

仕事ですが、しばらく本社勤務となりそうです。
というのも、ぼくがどこの客席にも向かわせることが出来ないくらい無能なためなのかなと感じていますし、現に無能さを露呈させつつ本社で開発に携わっています。
本来であれば2日もかけずに渡されたソースコードを読解しなくれはならなかったのに、4日かけても結局ソースコードの読解を終えることが出来なかったんですよね。
だからと言って別に怒られるわけでもなく、「じゃあその作業はもういいので、次の作業やっちゃいましょう」なんて上司から言われ、ぼくは苦痛で頭がおかしくなりそうでした。生きていて、本当にすみません。

最近「一朝一夕」という言葉について考えることが多いです。ぼくが言いたいことは大体察しがつくと思いますが、
こういう技術や知識はそんなにすぐに身につくものではないと思うわけです。ですが、今ぼくがいるところは本社とはいえ現場なわけです。身につくとか身につかないとか、知っているとか知らないとか、そういう次元の話ではないんです。
結局やるかどうか、というところになってきます。やらないという選択肢は無論ないので、やるしかないんですよね。

しかしじゃあいくら「明日から頑張るぞ」と意気込んだところで、一ヶ月前からずっと考えてきたC#を明日からするっと理解できるようになるなんてことは流石にありえないわけです。
結局身になるのはもっとずっと先のことになるんじゃないか、でもそれじゃ今の仕事には間に合わない、どうすれば…どうすれば…と考えていると、本当に無駄な時間が過ぎているのだということがわかります。毎日、それだけです。本当に無駄。
考え方を考える時間ほど無駄だと感じる時間はそうないんじゃないかと思います。現にぼくは無駄にしか思っていませんし、でも良い解決方法が浮かぶわけでもなくて、八方塞がりだなあと思っています。

こちらもお金をもらっているわけです。ただ座っているわけにはいかないんです。
一体何をどうすれば、一朝一夕で技術をものにできるのでしょうか。いえ、技術をものにしなくてもいい、せめて書いてあることがわかるようになるには、どういった努力をすればいいのでしょうか。
こちとら日本語もうまく使えないようなFラン私文卒の新卒です。そんな脳みそ空っぽの人間が、IT業界に飛び込んでどうやって生き延びることが出来ましょうか。

周りで、同じように苦しんでいる人を見かけないのは、みんな賢いから、或いは、やったことがあるから、それだけなのでしょうか。
やはり向き不向きというものが間違いなく存在していて、ある程度のことは苦手でもそれなりに出来ると心の何処かで思っていましたが、本当に今回ばかりはダメなのかもしれません。本当に向いていないものをよりによって手にとってしまったのかもしれません。

「数学が苦手な人は向いていない」とよく言われるIT業界ですが、これは別に数字を扱うことが苦手だと難しい、という話ではありません。
また、「論理的思考力がないと難しい」と言われるのも、若干ズレている表現だと思います。冗長にはなりますが、以下に記す様なことをサッと出来ない人が向いていなんです。

数学の問題で、○○の公式を使って問題を解く、ということがあったとします。別に数学でなくとも、そういったショートカット的な理解を促す、物理や化学でも、なんでも構いません。
とにかく、一定の解を導出するための公式を利用するような問題を解くのに際して、この公式について、我々が最初にすべきことなのは、
"とりあえず"公式を覚えてしまうことです。なんだかよくわからないが、この公式を使うと今までやってた冗長な計算が不要になって一瞬で問題を解くことが出来る、なら暗記してしまおう。
こう考えるべきなんです。
端的に言えば、合理的な思考を持つと言えるでしょう。

では一例としてぼくの場合、どこでつまずくのかといいますと、

まず公式が後出しされたという事実に動揺します。なぜ?そんな公式があるなら初めから出してほしい、今までやっていた小難しい解法は一体なんだったのかと。すると、今までのことはすべて不要なのか?ではなぜやらされたのか?納得がいかない。
結局どちらを覚えておけばいい?どうすればいい?公式さえあればいいのか?いやだったら今まで何をしてきたんだ…?
そもそもこの公式、一体どういう仕組みになっているんだ?なぜこういうことが出来る?この部分、何を算出させるために存在している?なぜ?なぜ?なぜなんだ?いや、何なんだこれは?


ぼくはその公式の先にある真意を見ようとしてしまいます。無論、そんな理解力は到底持ちあわせていません。それがわかってしまえば公式が作られた背景まで見えてくるということになります。そんなことはぼくには出来ません。
ぼくには、"とりあえず"が出来ない。
"なんとなく"も、きっと心の奥底では納得できていない。
ひとまず置いといて、なんてもってのほかです。いやいや、なんでひとまず置いちゃうの?と。

物事を上から1つずつ、順番に考えていく学び方を、ずっとやってきました。
この勉強法が間違っているかどうか、自分ではわかりませんでした。いつの間にか身についていた、そしていつしかそれしかできなくなっていた、ぼくなりの勉強法でした。
そして今もその勉強法に縛り付けられ、時間が際限なくかかるだけの、途方も無い、得るものもわずかしかない、無駄な勉強を繰り返し、制限時間を守ることも出来ず、また理解も何一つ出来ておらず、苦しんでいます。

だったら勉強法を変えればいいだけだと思われるでしょうが、私は他の勉強法を知りません。やったことがありませんから。
やったこともない、知りもしない、しかもどこかに事細かく書いてあるはずもないような勉強法について、勉強することが、果たして出来るのでしょうか?これこそ現実的ではないでしょう。
ぼくはそういうところから、今一度やり直さなくてはならないところに来てしまいました。
いえ、本来であればこのようなタイミングですべきことではなかったのだと思います。大学生のうちに自身の勉強法の欠陥に早い段階で気づいておくべきだった。ぼくにはそれを知るすべがなかった。

ぼくは文章が10行あったら、一字一句漏らさずに1行ずつ、上から読んでいく、そういう思考の人間です。
皆さんはどうでしょうか。少なくとも、ぼくの上司は1,3,5,7,9,と読み進めていくタイプだと話していました。その人に言わせてみれば、なんとなく感じるのだそうです。
上司はまた特殊なタイプの人なので、ぼくのような思考タイプの人間にはおよそ参考にならないようなアドバイスばかりくださいます。でも逆に、彼はそういった勉強だけしかしらないんです。
自分が理解できそうなところだけを先に理解し、自分が知りたいところだけを先に知る。
なんて合理的なんでしょうか。

ぼくは、3を知るには先に1と2を知る必要があると考えるような人間です。
ひとまず3さえ知っておけばよい、というような思考には少なくとも現段階ではどうしてもなれそうにないみたいです。
「どうして3なのだろう?」と思うのです。急に3と言われても…これに関係しているものはなんだろう?と考えます。すると、1や2、または4なんかを知る必要があるのではないか、という結論に至ります。こうなってくると、1から順番に、理解を深めていく必要がありそうだと、そう思ってしまうわけです。

限られた時間の中で、こんなことをしている余裕はまずありません。
時間に追われながら今書いたような作業をし、時間切れになって何も学べず、何も得られず、というようなことが起こるのです。
思考パターンが変わらないかぎり、ぼくはこの先ずっとそうやって失敗だけを繰り返し、やがて行き場を失うでしょう。

思考を必要とされない、何も考えなくてもただそれだけで生きられる、そういう世界で生きるしかないのかもしれません。

00:18 | 雑記 | comments (0) | edit | page top↑
学習障害 | top | public static void main (String args[]) { }

comments

post a comment

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。